★ 忍阪区の名所・旧跡 地図 ★


① 外鎌山(忍坂山・高圓山・高間山とも) 標高292m。万葉集では「忍坂(おさか)の山」として詠われています。

   

-1忍阪遺跡からは弥生時代末期の遺構、大型堀立柱建物跡や土器、ヤジリが出土しています。

  

-2弥生~古墳時代の土師器・須恵器が出土しています。

  

-3平安時代の木棺墓から八稜鏡(はちりょうきょう)や横櫛などが出土しています。

 

-4忍坂ヲムロ古墳は、奈良時代前半の火葬墓が発掘されました。

 

-5 外鎌山北麓古墳群・忍阪支群では、9基の古墳が発掘され、中でも8号墳は、正六角形の石室を持つ貴重な古墳です。今は、「史跡公園」に移設されています。

 

③ 忍坂坐生根神社は、天平2年(730年)の『大和国正税帳』に載っている古社で、本殿を持たない宮山をご神体とする神社です。祭神は、少彦名命(すくなひこのみこと)と天津彦根命(あまつひこねのみこと)です。境内には「神女神社」「愛宕神社」「天満神社」を祀ります。

 

④ 玉津島明神 祭神は「稚日女尊(わかひるめのみこと)」と「衣通姫尊(そとおりひめのみこと)」です。稚日女尊は、天照大御神の妹神です。衣通姫は絶世の美人であったと言われています。生まれた時に使ったとされる伝承の「産湯の井戸」の石組みが最近、見つかりました。 

 

⑤ 「薬師三尊石仏(重文)」は、白鳳時代に造られた日本で最古の三尊石仏で、万葉歌人・額田王の念持仏とも言われています。

 

⑥ 山号は「高圓山(こうえんざん)」。現在の堂宇は昭和53年に建立。その前のお堂は元 禄2年(1689年)のものでした。でも、天文11年(1542年・室町時代)には「テラノマエ」の小字が記されており、既にお寺があったとされています。

 

⑦ 天智天皇と天武天皇の父。飛鳥岡本宮を営み、最初の遣唐使を送った方です。本格的な「飛鳥時代」の幕開けを作った方です。

 

⑧ はじめは天智天皇の妃でしたが、のちに藤原鎌足の奥さんになられた方で、万葉歌人・額田王の姉にあたるとされています。「秋山の樹の下隠り行く水の我れこそ増さめ 思ほすよりは」という彼女の歌は、万葉歌碑として舒明天皇陵から鏡女王に向う小川のほとりに建てられています。

 

⑨ 大伴皇女は、日本書記では、欽明天皇と堅塩媛(きたしひめ)の皇女で用明天皇、推古天皇の妹にあたる方です。
陵墓は、舒明天皇陵と同じく宮内庁によって管理されています。

 

⑩ 古書に『「楯の奥」の北側「矢垣内(やがいと)」に「神籠石(じんごいし)」という大きな建石がある』・・・と記されています。昔はチゴ石と呼んでいましたが、ジンゴイシ・・・が、いつしか「チゴイシ」になったと思われます。