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2017.1.1 元旦祭をアップしました。 

忍阪とは


 

私たちが住む『忍阪(おっさか)』は、神武東征のおり大和平定の重要拠点として古事記・日本書紀に記され、また千数百年前に造られたとされる国宝・人物画像鏡に印刻されている「意柴沙加宮(オシサカノミヤ)」の地名でもあります。

 

和歌山県橋本市の隅田八幡宮所蔵のこの鏡に『癸未年八月、日十(ひそ)大王の年()、男弟王が意柴沙加宮にいます時、・・・』とあり、この癸未年を443年とすれば、大王は允恭天皇の事となり、「意柴沙加宮」は皇后である忍坂大中姫のオシサカと同じことになり、意柴沙加・・・オシサカ・・・忍坂・・とつながっていくのです。また、「日本書記」の允恭紀には、忍坂大中姫の名代として忍坂部(おつさかべ)を定めたとあります。「刑部」と書いてオサカベと読むのは、忍坂部がいわゆる刑部(訴訟・軍事)に関係したからとも・・。


また、古より、恩坂、押坂、忍坂とも表記され、「おさか」、「おっさか」と呼ばれてきた歴史ある地名で、現在は一般的には「忍阪(おっさか)」と読んでいます。オシサカのオシは、忍海(おしみ)、押熊(おしくま)のオシと同じく『大』を意味し、「大きい坂」を現しているとも・・・。確かに宇陀ケ辻から女寄峠までは、登り坂が続きます。


忍阪は、神武東征の伝承の舞台としても古事記や日本書紀に登場しています。この当時、「忍坂」とともに『大室(オムロ)』という地名も載っています。村に残る明治時代の地籍図にも、「大室(おむろ)」が「ハソ谷」の隣に示されています。今日では、その地は近鉄朝倉団地の一部となっていますが、近年、「大室町(おおむろちょう)」となり、小字名として復活しています。