神籠石(じんごいし)


忍坂村の中央に「楯の奥」(現・タツノ奥。法務局の明治22年の地籍図には辰ノ奥、タチノ奥と表記あり)というところあり、その北の「矢垣内」(現・屋垣内・やがいと)に『神籠石(じんごいし)』という大きな建石がある、と記されている。・・・・つまり、「チゴイシ」とも呼ばれていたこの巨石は「ジンゴイシ」だったのだ。ジンゴイシを繰り返し言えば・・・・・・・「チゴイシ」になったのでしょう。又、この石は、神武天皇がこの地にいた蝦夷梟師・八十建(ヤソタケル)を討つとき、この石に匿れ、石垣をめぐらし楯とした大石という伝説あり・・・とも。
つまり、楯にしていた石がある、奥のほう・・・・だから「楯の奥」・・・それが「タツノ奥」(タチノ奥)となったのでしょうか?。また、神が籠めた石・・・神を籠めた石・・・。どちらにしても、神武天皇に関わっている石なのです。

『神籠石』・・・ジンゴイシ。日本各地には「こうごういし」、「こうごいし」、「ひもろぎいし」とも・・・また、栃木県桐生市加茂神社では神籠石(かわごいし)とも言われています。その多くは、聖域を示すモニュメントとか古代山城という説もあり、いずれも聖域を示す「神籠石」なのでしょう。

昔の男子は、まだ櫓(やぐら)が置かれて無い時、素手で正面からこの巨石に登り、一畳敷きの上で大の字になれば一人前の証とされました。登りはよいが降りるにはかなりの勇気がいったようです。尚、火の見やぐらと半鐘は、昭和35年頃、生根神社境内より移設されたものです。

また、小附井出(こおつけいで・井堰)を引き込む粟原川の堰は、今も「ジンゴダブ()」と言われ、昔の子供たちの水遊び場でした。何故、ジンゴなのかダブ()なのか・・・。人工(じんこう)は当たり前であり、ダム(Dam)にしては小さすぎる。これも「神籠溜む」とすれば・・・どうだろう。
神武天皇が治水・利水をするために、堰を造り水を溜めたところ・・・。今も、その堰は「ジンゴダブ()・・・(神籠溜む)」と呼ばれています。