高円山・石位寺

石位寺
石位寺

石位寺の山号は「高円山」。「こうえんざん」と読みます。今は無住となっており、いずれの宗派にも属さず、区が管理しています。山号の称号は所在する山の名称をつけることが一般的であったため、外鎌山(とかまやま)の別名、高圓山(タカマドヤマ)を、奈良のタカマドヤマと区別するために高円山(こうえんざん)と呼び方を変えていたようです。この「高円山(こうえんざん)」という呼び方は、前住職が日頃使われていたと近隣の証言もあります。

西側石段の自然の佇まいを絶賛する声もあり、また境内からの眺めの良さも「ホトトギス派」のひとり『俳人・山口誓子』(明治34年~平成6年)によって表されています。
・忍阪にて・・・・・・『あがりきて忍坂の凧峰をちかみ』 
・石位寺にて・・・『雨蛙黒き仏の宙に鳴く』 

 

旧本堂
旧本堂

磯城郡誌によれば、現在の堂宇が建てられる昭和53年までの本堂は薬師堂とも呼ばれ、この薬師堂は元禄2(1689)12月、領主の関係があった奈良奉行の大岡忠高が、資金を助力して建立されています。その当時の薬師堂は、當麻寺と同じ造りであったとされ、「西の當麻寺、東の石位寺」と呼ばれていたと伝わっています。
また、「石造薬師三尊像」の他に地蔵菩薩、観音菩薩、千手観音、四天王、木造十二神将が薬師堂にあったと記されています。その後大正6年に、薬師三尊像以外の仏像は、長野県若穂保科の清水寺(せいすいじ)に渡っています。当時の先人たちは、どんな気持ちで送り出したのでしょうか。今は、信州・保科の里の新しい堂宇に佇んでおられます。

   

【参考】

奈良新聞・S52424松本俊吉氏の石位寺の以下の紹介記事が掲載されています。 

『多武峯の「常行三昧堂収納日記」(天理図書館蔵)「保井文庫」天文11年(1542年)に、「テラノマエ」の小字があることから推して室町時代に既にお寺があったと考えられ、その寺は石位寺の前身寺院だったコクラ寺かも・・・・。元禄時代の建立時に三尊石仏を本尊とするに当たって、音読のコクラ(小倉)寺を訓読に改めてイシイ(石位)寺と呼んだのかも・・・。もし、三尊佛が他から移して来たとしても現・生根神社の北300mにあった廃円福寺(本尊・薬師佛)からでは・・・・』